未来の大漫画家マツリセイシロウのblog
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タイトルはほぼ釣りです。
オタによるオタのためのオタ話なんで。つまんない奴にはとてつもなく時間の無駄です。
今日は漫画家としてではなく、イチ漫画好きとして喋くりたい。何かいきなりアレですけどまあちょっと聞け。
一昨年だかその前なんだかのオタクブームとか秋葉ブームとかそれ以降、「オタク」ていうレッテルがわりと顕在化してきて自ら自分にぺたっと貼り付けることすら厭わない人たちが増えたような気がするわけですけども。それはそれで別に良い。ただ人口が増えたことで何か変な方向に流れてきた。
それはオタクによるオタ差別。あるいは階級化。もっと判りやすく言うなら「オタクによる最近の若いオタは」言説。
まず簡単に整理する。
オタク第1世代:宇宙戦艦ヤマトから始まる。(岡田斗司夫あたり
オタク第2世代:大ざっぱにガンダム以降
オタク第3世代:さらに大ざっぱにエヴァンゲリオン以降
オタク第4世代:ハルヒ以降
解釈の差は有るかもしれないけど大体そんなモンだと思って下さい。
でー、上記の差別を繰り広げてるのは主に第1世代と第2世代の古いオタクです。
まさに岡田斗司夫氏とかは「オタクはすでに死んでいる」とか新書を出してまで死亡宣告してくださったんですけども。
要するに古参の人たちは下の世代に向けて「お前らはオタクじゃない」と仰ってるんですな。
第1世代の人の論拠は「お前らは俺たちほど情熱が無いじゃないか」というもの。
第2世代の人の論拠はさらに歪んでいて「お前らは差別されてないじゃないか」というもの。
第1世代に対しては「あんたら自分が若いつもりで居たのに、何か本当の若者と話が通じなくなったから『俺はオッサンじゃない!終わってるのはお前らだ!』って逆ギレしただけじゃねーかpgr」としか思わないんですが、
第2世代の鬱屈というのは相当なものがありますよね。
というのもすでに死刑に処された宮崎勤事件によって、漠然とあったオタク差別がここでハッキリと顕在化したからですが。一時期「オタク」はニートと同じように現代社会の病理としてマスコミの俎上に上げられていました。
そう言う不遇な時代に受難を受けた第2世代オタクは、社会を深く呪っているわけです。皮肉にも強烈なコンプレックスは逆に彼らをしてより深くアニメやら漫画やらゲームやらに嵌らせていく原動力となりました。
そうして第2世代オタクの教義として掲げられたのが
「我々は人間として優良な種である。その証明としてアニメや漫画やゲームのような新しい文化を理解することが出来るのだ。つまり我々を迫害するような社会は旧人類であり劣った種なのである」という選民思想であったわけです。
彼らの一人一人がいちいち口にはしなくても何となくそう言う空気があったことは間違いないです。
ガンダムがこの世代に広く受け入れられたのも「ニュータイプ」という概念が、彼らの選民思想に強く共鳴したことと無関係ではないでしょう。
逆にこの溝が深かったために、彼らは第三、第四世代の挫折を知らないオタク達とは相容れないものを感じていました。以前ほどのオタクバッシングはなくなり、オタククラスタというものがある程度社会性を持ち始めて、またネットの登場によってそれらのコミュニティへのアクセスが比較的容易になったことも手伝い、少年・青年期に自らの居場所を求めた者達が進んで「オタク」というレッテルを自ら貼るという現象が起こっていきました。
ここに第2世代の憤りがあるわけです。お前らは聖別されたわけでは無いじゃないか、オタクとは本来呪いであり烙印であるはずなのに何をライト感覚で名乗ってくれちゃってるわけ?そもそもオタクと言うならこの作品とかあの作品とか知ってんだろうな?ああ?知らない!!ふざけんな!…みたいな。
第三、第四世代は何を怒られてるのかさっぱり判らないんですね。俺たちは面白いものをただ楽しんでるだけじゃないか。何でそれが悪いのか。良くわからない昔の作品とか押しつけられても見る気にならないし、そもそもファーストガンダムって全何話有るの?悪いけどネトゲのオフ会行く時間なんで失礼します…みたいな。
えーと、 ここから先は俺の想像が入るから折りたたみますね。以後を読む人は「前提が間違ってるかもしれない」ということを念頭に置いといてください。
オタによるオタのためのオタ話なんで。つまんない奴にはとてつもなく時間の無駄です。
今日は漫画家としてではなく、イチ漫画好きとして喋くりたい。何かいきなりアレですけどまあちょっと聞け。
一昨年だかその前なんだかのオタクブームとか秋葉ブームとかそれ以降、「オタク」ていうレッテルがわりと顕在化してきて自ら自分にぺたっと貼り付けることすら厭わない人たちが増えたような気がするわけですけども。それはそれで別に良い。ただ人口が増えたことで何か変な方向に流れてきた。
それはオタクによるオタ差別。あるいは階級化。もっと判りやすく言うなら「オタクによる最近の若いオタは」言説。
まず簡単に整理する。
オタク第1世代:宇宙戦艦ヤマトから始まる。(岡田斗司夫あたり
オタク第2世代:大ざっぱにガンダム以降
オタク第3世代:さらに大ざっぱにエヴァンゲリオン以降
オタク第4世代:ハルヒ以降
解釈の差は有るかもしれないけど大体そんなモンだと思って下さい。
でー、上記の差別を繰り広げてるのは主に第1世代と第2世代の古いオタクです。
まさに岡田斗司夫氏とかは「オタクはすでに死んでいる」とか新書を出してまで死亡宣告してくださったんですけども。
要するに古参の人たちは下の世代に向けて「お前らはオタクじゃない」と仰ってるんですな。
第1世代の人の論拠は「お前らは俺たちほど情熱が無いじゃないか」というもの。
第2世代の人の論拠はさらに歪んでいて「お前らは差別されてないじゃないか」というもの。
第1世代に対しては「あんたら自分が若いつもりで居たのに、何か本当の若者と話が通じなくなったから『俺はオッサンじゃない!終わってるのはお前らだ!』って逆ギレしただけじゃねーかpgr」としか思わないんですが、
第2世代の鬱屈というのは相当なものがありますよね。
というのもすでに死刑に処された宮崎勤事件によって、漠然とあったオタク差別がここでハッキリと顕在化したからですが。一時期「オタク」はニートと同じように現代社会の病理としてマスコミの俎上に上げられていました。
そう言う不遇な時代に受難を受けた第2世代オタクは、社会を深く呪っているわけです。皮肉にも強烈なコンプレックスは逆に彼らをしてより深くアニメやら漫画やらゲームやらに嵌らせていく原動力となりました。
そうして第2世代オタクの教義として掲げられたのが
「我々は人間として優良な種である。その証明としてアニメや漫画やゲームのような新しい文化を理解することが出来るのだ。つまり我々を迫害するような社会は旧人類であり劣った種なのである」という選民思想であったわけです。
彼らの一人一人がいちいち口にはしなくても何となくそう言う空気があったことは間違いないです。
ガンダムがこの世代に広く受け入れられたのも「ニュータイプ」という概念が、彼らの選民思想に強く共鳴したことと無関係ではないでしょう。
逆にこの溝が深かったために、彼らは第三、第四世代の挫折を知らないオタク達とは相容れないものを感じていました。以前ほどのオタクバッシングはなくなり、オタククラスタというものがある程度社会性を持ち始めて、またネットの登場によってそれらのコミュニティへのアクセスが比較的容易になったことも手伝い、少年・青年期に自らの居場所を求めた者達が進んで「オタク」というレッテルを自ら貼るという現象が起こっていきました。
ここに第2世代の憤りがあるわけです。お前らは聖別されたわけでは無いじゃないか、オタクとは本来呪いであり烙印であるはずなのに何をライト感覚で名乗ってくれちゃってるわけ?そもそもオタクと言うならこの作品とかあの作品とか知ってんだろうな?ああ?知らない!!ふざけんな!…みたいな。
第三、第四世代は何を怒られてるのかさっぱり判らないんですね。俺たちは面白いものをただ楽しんでるだけじゃないか。何でそれが悪いのか。良くわからない昔の作品とか押しつけられても見る気にならないし、そもそもファーストガンダムって全何話有るの?悪いけどネトゲのオフ会行く時間なんで失礼します…みたいな。
えーと、 ここから先は俺の想像が入るから折りたたみますね。以後を読む人は「前提が間違ってるかもしれない」ということを念頭に置いといてください。
実は第2世代の憤懣と挫折と栄光はある漫画作品によって代弁されるはずでした。その作品とは平野耕太先生の「大同人物語」です。実際の物語上では直接的に触れられて居ませんでしたが、作中のラスボス・織田雫が受けた過去のトラウマとは、M事件とそれにまつわるオタクバッシングだと読み取れます。というか十中八九間違いないと思い込んでます俺は。
残念ながらこの作品は未完成の状態のまま連載が中断し、既に長い期間が過ぎてしまいました。
しかし、それでもまだ発表の場さえあればこの作品が息を吹き返す機会は有った。
ところが、そうこうしてる間に挫折したオタク達の次の世代を描いた漫画が現れてしまいました。それが「げんしけん」です。
この作品の登場によってくすぶり続けていたオタクの自己言及は沸騰しました。
多少の世間に対する引け目はあれど、基本的に明るく楽しいオタクライフが「げんしけん」にはあった。俺は某大学の漫研出身なんですけど、まさにアレはリアルだと感じました。でももう少し上の人はなんか眉間に力が入ってた。彼らにとっては「げんしけん」は理想郷ではあったけれどもまだファンタジーだったのです。
じゃあとっくに終わってるくせに声だけデカイ第1世代は放っておくとしても第2世代のルサンチマンはどこへ行けばいいのか。見えない敵はいつの間にか居なくなってました。振り上げた拳はどこへおろせば良いんだろう。良く判らないし妬ましいから、とりあえず若い奴を殴っとこう。
そういうわけで今、漫画やアニメやゲームの格式化が始まってしまってます。もうそういうのは止めないかね。たとえばケータイ小説をバカにしたりとかそういうことですよ。良いんだよ、「あたし彼女」で。
文化というのは常にポップであるべきで、本来弾力に富んだ柔軟なもののはずです。行き詰まってるのは一部の人だけで、そいつらの声がデカ過ぎる。本来は大人こそが期待と希望を語るべきなんじゃないですか?あんたらはサブカルチャーを伝統芸能にしたいのか。
新しく入ってくる人たちを閉め出して、自分たちにだけ心地よい世界を再生産しようとしていたら、そんな文化は十年も持たない。
とりあえずそのためにも第2世代のルサンチマンは早急に埋葬しなくてはならないと思います。その鎮魂歌としてですね、今まさに「大同人物語」の完結こそ求められてるのではないでしょうか。オタ業界のオヤシロ様的な役割を背負ってはくれまいかと期待するわけです。
まあ単に大同人物語の続きが見たいニャーというそれだけのことなんですけど、そんな1行で済む話のためにここまで話を広げて時間を費やした俺の情熱を買っていただきたい。誰かに。
残念ながらこの作品は未完成の状態のまま連載が中断し、既に長い期間が過ぎてしまいました。
しかし、それでもまだ発表の場さえあればこの作品が息を吹き返す機会は有った。
ところが、そうこうしてる間に挫折したオタク達の次の世代を描いた漫画が現れてしまいました。それが「げんしけん」です。
この作品の登場によってくすぶり続けていたオタクの自己言及は沸騰しました。
多少の世間に対する引け目はあれど、基本的に明るく楽しいオタクライフが「げんしけん」にはあった。俺は某大学の漫研出身なんですけど、まさにアレはリアルだと感じました。でももう少し上の人はなんか眉間に力が入ってた。彼らにとっては「げんしけん」は理想郷ではあったけれどもまだファンタジーだったのです。
じゃあとっくに終わってるくせに声だけデカイ第1世代は放っておくとしても第2世代のルサンチマンはどこへ行けばいいのか。見えない敵はいつの間にか居なくなってました。振り上げた拳はどこへおろせば良いんだろう。良く判らないし妬ましいから、とりあえず若い奴を殴っとこう。
そういうわけで今、漫画やアニメやゲームの格式化が始まってしまってます。もうそういうのは止めないかね。たとえばケータイ小説をバカにしたりとかそういうことですよ。良いんだよ、「あたし彼女」で。
文化というのは常にポップであるべきで、本来弾力に富んだ柔軟なもののはずです。行き詰まってるのは一部の人だけで、そいつらの声がデカ過ぎる。本来は大人こそが期待と希望を語るべきなんじゃないですか?あんたらはサブカルチャーを伝統芸能にしたいのか。
新しく入ってくる人たちを閉め出して、自分たちにだけ心地よい世界を再生産しようとしていたら、そんな文化は十年も持たない。
とりあえずそのためにも第2世代のルサンチマンは早急に埋葬しなくてはならないと思います。その鎮魂歌としてですね、今まさに「大同人物語」の完結こそ求められてるのではないでしょうか。オタ業界のオヤシロ様的な役割を背負ってはくれまいかと期待するわけです。
まあ単に大同人物語の続きが見たいニャーというそれだけのことなんですけど、そんな1行で済む話のためにここまで話を広げて時間を費やした俺の情熱を買っていただきたい。誰かに。
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プロフィール
HN:
マツリ セイシロウ
性別:
男性
職業:
漫画家
自己紹介:
漫画家です。
『マイティハート』全七巻
『ひみChuの文子さま』全三巻
新連載『リヴォルト・リヴォルバー』がチャンピオンRED12月号(2011年10月発売)連載開始
メールはこちら(メアド変わりました)
azzzzre◎yahoo.co.jp
◎を@に変えてください
『マイティハート』全七巻
『ひみChuの文子さま』全三巻
新連載『リヴォルト・リヴォルバー』がチャンピオンRED12月号(2011年10月発売)連載開始
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